全ては笑いのために
日曜は笑いについて友人と研究している。
笑いとは何か、笑いを理論から作れるか、をテーマにして。
前回話し合って、お笑い関係のビデオを見て考察をしているが、
もっといいアプローチがないものかと思い、
上記の井庭先生の複雑系入門に手を出した。
複雑系とはシステムを構成する要素の振る舞いのルールが、全体の文脈によって動的に変化してしまうシステム。
笑いについて最初話し合った時、
その場の状況や今までの経験、いってしまえばその日の天気まで関係しているんじゃないか。
そんなことを考えて一度途方にくれていた。
これどうやって分析していこうかと。
そこでこの本に出会った。
複雑系のアプローチはシュミレーションに重きを置いている感があったが、
基本的なアプローチは奥出研の手法と同じだった。
観察→モデル化→シュミレーション→考察→観察→・・・という一連の流れ。
というわけで観察からのモデル化が当面の目標になった。
観察に際し、笑いに関してひとつの土台ともいうべき仮説を立てた。
それは『閾値』と『回路』である。
『閾値』とは筋肉収縮などの説明において使われるもので、
一定の刺激以上のものに関してのみ反応が起こり、
それ以下のものにはまったく反応をしめさないというもの。
その一定の値のことを『閾値』(いきち)という。
『回路』とは脳の中の回路。
ニューロンとシナプス結合の回路のこと。
笑いはこの二つを土台に理論付けられるのではないだろうか。
前後するが、まず『回路』に関して説明する。
笑うときによく、「あれは腹から笑った」と言う。
これは強烈な印象と、爽快感、おもしろさを与えてくれる。
笑いに大事なものは驚き。
この笑いを仮に腹笑と呼ぶならば、
腹笑は脳内に新しい『回路』を形成しているのではないかと思う。
腹笑したあと、同じものを見るとまた笑ってしまうことがある。
これは回路が活気付いているのだと思う。
ネットワークでTTL(Time To Live)という用語がある。
これが脳内の『回路』にも適用が出来るのではないかと思う。
つまり、新しく作られた『回路』にはTTLが設定され、
その間にまた同じ情報が『回路』を流れるとおもしろいと反応してしまうのではないだろうか。
腹笑に対して、頭笑という言葉を仮に作った。
これは漫才やコントなどを見ていて、なんとなく笑ってしまうような笑いを指す。
頭笑は大いに経験が影響してくる。
今までの経験から形成された”おもしろ『回路』”とも言うべきところを通ると、
人は笑う可能性が高まると思う。
腹笑で形成された『回路』もTTLがなくなるとこうした”おもしろ『回路』”へと変わるのだろう。
この『回路』に『閾値』が絡んでくる。
『閾値』とは『回路』を通った情報が笑いとして表出するかどうかを判断するラインのこと。
『閾値』は、芸人の間や語り口調、周りの人の笑い、自身の精神状態などさまざまな要因が絡み合って決まってくる。
俗に言う笑いの神が降りるというのはこの『閾値』が0の状態であろう。
この要因の特定がひとつ大きな課題である。
『回路』、『閾値』とも極めて個人的なものであるが、
先の複雑系入門のフラクタルっていうのが適用できないかとふんでいる。
ひとつの笑いという情報を提供されて、そこから構成される『回路』はさまざま。
でもそれがほんとに千差万別だったらコミュニケーションなんてとれないんじゃないかと。
人によって違うと言えども、『回路』はフラクタル的なのではないか。
モデル化が可能なんじゃないかと思う。
また『回路』からの笑いの表出に、他の人の笑いという要素は非常に強い影響を与えているように思う。
イメージ的にはFLASH制作時のグリッドに吸着というものが近い。
脳内で”おもしろ『回路』”を通ったものが、笑いとして表出する際、
他人の笑いによって吸いつけられるように笑ってしまうことだ。
こうした要素によっても『回路』、そして『回路』からの笑い表出のモデル化が可能なように思われる。
というわけで前途多難に進んでみる。
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歯が立たず
こんなシナプス
捨ててしまえ
いいじゃないか
いいんだろうか
こんな気分のときでも笑えるを教えてよー