哲学的の最近のブログ記事
運を強くしたい。と思う。
よく聞く話が、思い込みの力で、
人間は心からそのことを信じ、努力すると、
必ず実現できるという話。
自分は心の底から何かを信じることはできない。
それは、たとえば、究極的な例で言えば、
絶対にじゃんけんで勝てると思っていても、
次の瞬間後ろから拳銃で撃たれて死ぬかもしれない。
とかいう可能性を否定することはできないから、
なので、「絶対勝つ!」とは心の底から思うことができないので、
勝負ごとに弱いと思う心が生まれてきてしまう。
で、最近の暇つぶし。
「絶対なものはなにか」を出すこと。
これは絶対か?というものを考えて、
それを否定していくという作業。
非常に非生産的に写るけれども、
もしなんでもいいから自分なりの答えがでたら、
そこを足がかりに、自分の中での絶対的な理論が確立されて、
思い込みの力をフルに使えて、勝負事に強くなれるかもしれない。
という個人的には意外と生産的な作業。
やり方として、
まず、考えるということと、感覚でわかるということを否定すると、
どうやって絶対的なものを理解、認識するかという、
方法から手探り状態になってしまったので。
一段階下げて、考えるということと感覚でわかるということは
方法としてまず使うとして、
一般的に絶対と思われていることを否定していき、
今の現状の知識と感覚で否定できなくなった場合、
それを絶対候補として、メモすることにした。
いろいろやってきてみて、絶対候補がまず一つ出た。
全ての事象は静止していない、動いている(変化している)という、
ヘラクレイトス先生の万物は流転す。
という言葉に近いもの。
これがなかなか否定できない。
例え自分がマトリックスのように、バイオ電池として養生されていたとしても、
静止はしていない気がする。
感覚的に全ての事象はとまってはいないと思える。
これを否定できなかったら、いいなと思いながら今日は寝ます。
残業終わりで何か考えたくなったので妄想。結論、意味、特になし。
確率という考え方について考えてみた。
よく使われるのが、ギャンブル。
特にスロットが顕著。
スロット雑誌とかを手にしてみると、
チェリーの25%でモードがあがり、ボーナス放出する。
とか、リプレイの0.1%でモード転落。
スイカの12.5%でモード移行とか。
いろいろとある。
実際のところ、確率は1か0かの可能性を考える考え方。
競馬のオッズがいくら高かろうが、1位になる馬は1頭。
2位になる馬も1頭だし、3位も同じ。
結局は1か0かの世界。
50%ってなんだろう。考えてみる。
非常にたゆたっている状態。
51%だと当たるか当たらないかとすると、
1%分当たる可能性が高いから、
0か1かでいったら当たる。と考える。
その半分、25%を考えてみる。
非常にたゆたっている状態。
26%だと0%か50%かでいったら、1%分50%に近いから、
つまり、当たる。
その半分、その半分と考えていくと、
つまるところ。当たる。
当たるぞ!
当たるんだ!1%でも0.000001%でも可能性があれば当たるんだ!
とかいうギャンブル狂の詩。
無論、逆もまた真なりなんだけども。
結局考え方、捕らえ方ひとつで、どうとでも世の中考えられるし、動ける。
死ねるし、生きれる。
漫画、封神演技でモノの存在する確率を変えることのできる武器とかいうのがあった。
ジョジョ次回作があったら、ラスボス的な能力。
存在の曖昧さを固定しているものはなんなのか。
熱、質量、言葉、感覚、その他人間世界で計測できるもの全て。
そうかんがえると、計測できないものでも固定されていてしかるべきなきがする。
人間世界で計測できるもの全てが、
自分の存在を100%固定しているだろうかと考えると
それは違うと生理的に感じる。
せめて何%かは人間世界でまだ計測できていないもので固定されているだろうと。
さっきの逆もまた真なりでいくと、
人間世界で計測できないものでしか固定されていなくなる。
そう理解したとたん、魔法が使えるようになった。
とかいうファンタジー小説の前書き。
その人なりの愛情表現ってあるじゃないですか。
やれ髭をこすりつけたり、
やれ肌をさすったり、
やれ贈り物をあげたり。
そういうことがどれもチープに感じる時がある。
よく欧米人は言葉に出して愛情を確認するという話を聞くけども、
昔からの日本人ってなんともいえない間だったり、
ことばの端々から愛情を確認しあうことがあるという。
そういうのすらチープに感じる時がある。
どれくらい相手を愛しているかということを、
言葉にするということがチープに感じる時がある。
「こんなもんじゃないんだけどな」と。
どれくらい好きか?という質問に対して、
「お前をもうぐっちゃぐっちゃにして丸めて、砲丸投げで外に投げ飛ばすくらい好き」
という解答が近い気がするのだけれども、やっぱりチープだ。
言葉では解決できない気がする。
こういうところから悲しい喜劇が生まれてきそうな気がするので、
大切にとっておこうとおもい、覚書。
内側の内側って?
小堺一機さんのインタビュー。
ムカデのおはなし。
つるべのインタビュー。
「これが落語や“緊張と緩和”や!」すばらしい。
お釈迦様がいうには執着がなくなれば四苦八苦から解放されると。
鎌団子は基本的に執着はあまりなく、スタンスはなんでもありな感じ。
なんでもありな中に、これはかっこわるいとか、かっこいいとかの、
自分なりの美学があって、それにしたがって生きてる。
でもそれすら、ネタとかノリといった強力なツートップによって、
おおいにゆらぎ、どうでもよくなることも多々ある。
また他人もどう生きていようがその人の人生だから、
特にこうしたほうがいいとかそういうのもあまりない。
いろんな人がいたほうが世の中柔軟でおもしろくなるだろうし。
執着がない生き方は居心地がよくて、楽で楽しい。
でもさ、マッハ末續とかはめちゃめちゃ執着してるよね。
バントの川合もめちゃめちゃ執着してるよね。
スポニチでかわいそうな記事もでてるけど、
御釈迦さんよ。御釈迦さん。
人生執着したほうがたのしめるんじゃないすかね。
熱しやすく、冷めやすいという柔軟さを保ちつつも、
熱するところの性能を高めて楽しく人生生きたい所存です。


