哲学的: 2006年3月アーカイブ

確率

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残業終わりで何か考えたくなったので妄想。結論、意味、特になし。

確率という考え方について考えてみた。
よく使われるのが、ギャンブル。
特にスロットが顕著。
スロット雑誌とかを手にしてみると、
チェリーの25%でモードがあがり、ボーナス放出する。
とか、リプレイの0.1%でモード転落。
スイカの12.5%でモード移行とか。
いろいろとある。

実際のところ、確率は1か0かの可能性を考える考え方。
競馬のオッズがいくら高かろうが、1位になる馬は1頭。
2位になる馬も1頭だし、3位も同じ。
結局は1か0かの世界。

50%ってなんだろう。考えてみる。
非常にたゆたっている状態。

51%だと当たるか当たらないかとすると、
1%分当たる可能性が高いから、
0か1かでいったら当たる。と考える。

その半分、25%を考えてみる。
非常にたゆたっている状態。
26%だと0%か50%かでいったら、1%分50%に近いから、
つまり、当たる。

その半分、その半分と考えていくと、
つまるところ。当たる。
当たるぞ!
当たるんだ!1%でも0.000001%でも可能性があれば当たるんだ!
とかいうギャンブル狂の詩。

無論、逆もまた真なりなんだけども。

結局考え方、捕らえ方ひとつで、どうとでも世の中考えられるし、動ける。
死ねるし、生きれる。
漫画、封神演技でモノの存在する確率を変えることのできる武器とかいうのがあった。
ジョジョ次回作があったら、ラスボス的な能力。

存在の曖昧さを固定しているものはなんなのか。
熱、質量、言葉、感覚、その他人間世界で計測できるもの全て。
そうかんがえると、計測できないものでも固定されていてしかるべきなきがする。
人間世界で計測できるもの全てが、
自分の存在を100%固定しているだろうかと考えると
それは違うと生理的に感じる。
せめて何%かは人間世界でまだ計測できていないもので固定されているだろうと。

さっきの逆もまた真なりでいくと、
人間世界で計測できないものでしか固定されていなくなる。
そう理解したとたん、魔法が使えるようになった。

とかいうファンタジー小説の前書き。

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