哲学的: 2006年9月アーカイブ

絶対

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運を強くしたい。と思う。
よく聞く話が、思い込みの力で、
人間は心からそのことを信じ、努力すると、
必ず実現できるという話。

自分は心の底から何かを信じることはできない。
それは、たとえば、究極的な例で言えば、
絶対にじゃんけんで勝てると思っていても、
次の瞬間後ろから拳銃で撃たれて死ぬかもしれない。
とかいう可能性を否定することはできないから、

なので、「絶対勝つ!」とは心の底から思うことができないので、
勝負ごとに弱いと思う心が生まれてきてしまう。

で、最近の暇つぶし。
「絶対なものはなにか」を出すこと。
これは絶対か?というものを考えて、
それを否定していくという作業。
非常に非生産的に写るけれども、
もしなんでもいいから自分なりの答えがでたら、
そこを足がかりに、自分の中での絶対的な理論が確立されて、
思い込みの力をフルに使えて、勝負事に強くなれるかもしれない。
という個人的には意外と生産的な作業。

やり方として、
まず、考えるということと、感覚でわかるということを否定すると、
どうやって絶対的なものを理解、認識するかという、
方法から手探り状態になってしまったので。

一段階下げて、考えるということと感覚でわかるということは
方法としてまず使うとして、

一般的に絶対と思われていることを否定していき、
今の現状の知識と感覚で否定できなくなった場合、
それを絶対候補として、メモすることにした。

いろいろやってきてみて、絶対候補がまず一つ出た。
全ての事象は静止していない、動いている(変化している)という、
ヘラクレイトス先生の万物は流転す。
という言葉に近いもの。
これがなかなか否定できない。
例え自分がマトリックスのように、バイオ電池として養生されていたとしても、
静止はしていない気がする。
感覚的に全ての事象はとまってはいないと思える。
これを否定できなかったら、いいなと思いながら今日は寝ます。

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