UNITの最近のブログ記事
ヒロシでおなじみのあるあるネタ。
IT系でのってみる。
団子です。
「OSが見つかりません。」
団子です。
「ハードディスクが異常終了したとです。」
団子です。
「キーボードの”M”がきかんとです。」
団子です。
「イラレが立ち上がりません。」
団子です。
「ネットワーク上の玄箱が見つかりせん。」
なんか、玄箱が見つからないんだよねー。
今まで手動IP設定でいけてたんだけど、
それも利かなくなった。
むー。
勇壮さがえらい滑稽にうつる。 ←朝日新聞より
いぼじのことをやけに詳しく書いてあってうける。
<目で見るいぼじのお話し>(注)食事時には厳しい画像があります。
王様の病気のトップが痔という話しを聞いたことがあるが、
肛門の病気って何かが排泄されるたびに刺激されるわけで、
その負の循環を想像するとやりきれないものがあるなあ。
病院のマークがお洒落。
日曜は笑いについて友人と研究している。
笑いとは何か、笑いを理論から作れるか、をテーマにして。
前回話し合って、お笑い関係のビデオを見て考察をしているが、
もっといいアプローチがないものかと思い、
上記の井庭先生の複雑系入門に手を出した。
複雑系とはシステムを構成する要素の振る舞いのルールが、全体の文脈によって動的に変化してしまうシステム。
笑いについて最初話し合った時、
その場の状況や今までの経験、いってしまえばその日の天気まで関係しているんじゃないか。
そんなことを考えて一度途方にくれていた。
これどうやって分析していこうかと。
そこでこの本に出会った。
複雑系のアプローチはシュミレーションに重きを置いている感があったが、
基本的なアプローチは奥出研の手法と同じだった。
観察→モデル化→シュミレーション→考察→観察→・・・という一連の流れ。
というわけで観察からのモデル化が当面の目標になった。
観察に際し、笑いに関してひとつの土台ともいうべき仮説を立てた。
それは『閾値』と『回路』である。
『閾値』とは筋肉収縮などの説明において使われるもので、
一定の刺激以上のものに関してのみ反応が起こり、
それ以下のものにはまったく反応をしめさないというもの。
その一定の値のことを『閾値』(いきち)という。
『回路』とは脳の中の回路。
ニューロンとシナプス結合の回路のこと。
笑いはこの二つを土台に理論付けられるのではないだろうか。
梅雨の中休みもそろそろ終わりを迎え、
台風をともなって、そろそろ本格的な梅雨が来る今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
俺はこの梅雨を楽しく乗り切れるように、ひとつの罰ゲーム企画を考えました。
それはこの写真を見ていただければ少し理解していただけるかと思います。
そうです、靴下です。
これは仲間内でも足が臭いことで有名な恥骨君の靴下です。
彼が家に遊びに来ると、まず皆がこういいます。
「足を洗え」と。
俺はなんだかかわいそうなので、あまりこういうことはいいません。
だが、臭いものは臭いので迷惑していることは迷惑している。
両者が足の臭いに対してもっとポジティブに考えられないだろうか。
臭い靴下をなんとか主役にできないものか。と。
そう考えて一つアイデアが浮かびました。
『臭い靴下だったらキノコが生えそうだ』
皆恥骨君の足を臭い臭いというのだから、
まとめて両成敗ということで、皆の靴下を集めて、
どの靴下からキノコが生えてくるか試してみようと。
そうして靴下からキノコ生えちゃったやつは責任もってそれを食おうじゃないかと。
そういうことです。
そういう男らしい企画です。
驚き × シチュエーション = 笑い
笑いは二つに大分できる。
俗に言う心から笑うと呼ばれるものと、
経験と照らし合わせて頭で笑うもの。
前者は驚きが必須。後者は驚きはいらない。
ベリクソンが言うところの笑いは前者のみを指す。
後者は笑いの文化から生まれたものと思われる。
テレビ番組に例えるとわかりやすい。
前者は電波少年。後者は笑点。
前者は爽快感をもたらすのと同時に、笑いの経験として残りやすい。
今まで経験していない驚きがシチュエーションにあいまって、
笑うという感情に格上げされる。
現在この手の番組は非常に少ない。
後者は爽快感というよりも、充足感が強い。
漫才や、俗に言う天丼なんかはこれに当てはまる。
こうあってほしい、こうあったなら笑えるという回路に、
うまいことむすびつくと頭の中で笑えという命令が来るように思われる。
これに近いのは、ほめられるということ。
こうあってほしい、という思いを他人の言葉で言われると、
喜びという感情に格上げされる。
なんともいえない、充足感と安心が得られる。
Kainoatecの水着試着シュミレーション。
モデルの顔と背景の合成具合がおもしろい。
夏の夕暮れのようなけだるさが味わえる。

